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西国三十三所観音霊場巡礼は

「究極の終活の旅」・先祖供養

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令和元年5月、文化庁によって西国三十三所観音霊場巡礼が「究極の終活の旅」として日本遺産に認定されました。
「究極の終活の旅」として「巡礼」が日本遺産に認定されたということは、言い換えれば、日本で唯一宗教的活動での終活が文化庁に認められたということになります。
これは大変稀なことであり、かつ重大なことでもあります。
この「終活の旅」を簡単に説明させていただこうとすれば、まず西国三十三所観音霊場巡礼のお話しなければなりません。

今より1300年前(養老2年・718年)奈良の長谷寺を開かれた徳道上人が62歳で病のため亡くなりあの世へ行かれたのですが、その冥途の入り口で閻魔大王に出会った際、このように言われたそうです。
「生前の罪業によって地獄に落ちる者が多く困っている。西国にある三十三の観音霊場を巡った者は、その功徳によってたとえ生前の大罪があろうとも、その罪を全て私が背負うことを約束しよう」と
それを聞いた徳道上人は、その証をいただきたいと閻魔大王に申し入れました。
その際に閻魔大王から直々に授かった物が「起請文」と「三十三個の宝印」だったのです。
「もし地獄に落ちる者であろうとも、この三十三個の宝印を全て押印した笈摺(おいずる)を身に着けた者は決して地獄には落とさぬこと約束しよう」
閻魔大王よりそう告げられた徳道上人は、いただいた宝印を持参し、現世へと戻って来られたのだそうです。

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では、この笈摺(おいずる)とは一体何なのでしょうか?

人は亡くなると必ずと言ってよいほどお葬式を行います。その際、亡くなった方の身体を綺麗にしてあげてから棺桶に入れてあげますね。大切な人を亡くし、悲しみに暮れる中、亡くなった方にどのような服を着せてあげたら良いか皆さんはご存知でしょうか?
「お父さんはサラリーマンでずっと頑張ってきてくれたから、お父さんに一番似合うスーツを着せて見送ってあげよう」
「お母さんが好きだった洋服を着せてあげよう」
これは残念ながら全て問題有り!となるのです。
亡くなる側と見送る側で生前取り決められていたことならば仕方がないこととも思えますが、本来は笈摺(おいずる)または帷子(かたびら)という白い衣装を着せて送り出すことが、宗派を問わず全国共通の形式なのです。
よく死装束と言いますね、それがこのことなのです。
この死装束たる真っ白な笈摺(おいずる)に、観音霊場として定められた三十三箇所の寺院の宝印を全て押印すれば、それを着ることができた亡き人は、生前の罪がいかに重くとも地獄には落ちないとされているのです。それでも余りある罪業があったとしても、その責め苦は地獄の閻魔大王が代わって受けてくださるというのです。
生きている私たちが亡くなった方の為にできる「最も価値(功徳)のある行い」このことが文化庁でも認められ、西国三十三所観音霊場巡礼が「究極の終活の旅」として日本遺産に認定されたのでしょう。

 

また、この巡礼は全く宗派を問いません。
ですから各宗派を問わず、一番確実な供養の方法ともいえますね。
下の写真は京都の清水寺で洛陽三十三観音霊場(西国三十三所写し霊場)再興10周年の法要が行われた際の写真です。一番奥に座られている清水寺住職をはじめ、左右に各々袈裟の色の違う僧侶が座られていますが、これは京都にある、宗派の全く異なる三十三所観音霊場の住職が集まっておられるからなのです。
各々宗派は違えども、全ての僧侶が同じく唱えたお経は観音経(観音様のお経)でした。
そうなのです、観世音菩薩様が唯一、宗派を問わず手を合わせお経を唱えることのできる仏様なのです。
真言宗・天台宗・浄土真宗・禅宗・日蓮宗……宗、どの宗派にも通ずる仏様なのです。



 

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また当院では、すでに葬儀を済まされ、次の回忌供養を待っておられる方に対して、当院の先達巡礼で集めている観音霊場の三十三の宝印の写し、または原本を護摩焚きによるお焚き上げも行っております。お焚き上げと聞くと何かもったいないことをしているようにも思えますが、護摩の炎は有り難い仏様の神聖な炎です。その炎で私たちが集めた観音様の霊場の宝印を焚き上げるというこは、仏様を介し亡き精霊にその宝印の功徳を届けることになるのではないでしょうか?この文章をお読みになり、供養をしたいと思われた方はどうぞお気軽にお申し出ください。                              合掌


 

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